福岡高等裁判所 昭和29年(う)377号 判決 1954年4月27日
控訴人 被告人 藤元俊治 外一名
弁護人 諫山博
検察官 大坂盛夫
主文
本件控訴をいずれも棄却する。
理由
弁護人諫山博の控訴趣意は、同弁護人及び各被告人提出の控訴趣意書記載のとおりである。
右に対する判断。
弁護人の控訴趣意第一点、被告人藤元俊治の同第一ないし第九点、被告人辰島保の同第一点(判示第一、威力業務妨害の事実誤認、法令適用の誤)について。
原判決挙示の関係証拠に徴すれば、被告人両名は、判示のようないきさつのもとに、鉱害補償に関する判示三菱方城鉱業所側の措置をもつて、誠意に欠くるものありとして憤慨し、共謀の上、同鉱業所第二竪坑の捲上機械の運転を停止させる目的をもつて、判示の頃判示捲場に同道し、ともに同捲場の窓口によぢ上つて立ちふさがつたこと、被告人藤元俊治は両手を挙げ、被告人辰島保は片手に傘を携さえ片手を挙げて、折柄同捲上機械を運転操業中の運転手樋渡鹿吉に対し、被告人藤元俊治において、「捲を止めろ」と連呼怒号したこと、因つて運転手樋渡鹿吉は、已むなくその運転を一時中止するに至つたことがいずれも明らかである。
なるほど弁護人所論のように、被告人両名が立ちふさがつた捲場の窓口と運転手樋渡鹿吉の位置とは、その間の距離約九米をへだて、中間には廻転中の捲上機械等の障碍物が横たわつていて、右の窓口から運転手樋渡鹿吉の身辺に直行して直接同人の身体に危害を加えることは至難の情況にあつた事実、並びに被告人両名こそ、右の窓口をとおる捲上ロープとの接触等による、身体生命損傷の危険にさらされていた事実は、いずれも証拠に照らして明らかなところではあるが、その故をもつて被告人らの本件所為が威力による業務妨害の罪を構成しないとする論旨は採用し難い。刑法第二三四条にいう威力とは、業務遂行の意思を制圧するに足りる不当の勢威一般を指称し、もとより業務遂行者の身体に対する直接的な危害可能の情況の存することを要しないものと解すべく、本件のような竪坑捲上機械の運転による捲上作業に従事する運転手は、物理的にも精神的にも終始安全平穏な状態において操業を継続すべき職責と権限とを有するものといわなければならない。被告人らが、前記のように判示捲場の窓口に立ちふさがり、手を挙げて捲上機械運転の中止方を求めているのに、強いてその運転を継続するにおいては、捲上ロープとの接触等による被告人らの身体生命損傷の危険大なるものがあることは前述のとおりであり、既にその危険の大なるものがある以上、目前のその危険を免かれるために機械の運転を中止するのは、人の身体生命の安全をはかり、これが損傷を避けようとする、人倫必然の要請であるから、このような事態を故意に作出する被告人らの前記挙措は、捲上機械運転手の業務遂行の意思を優に制圧するに足りる不当の勢威に当り、刑法第二三四条にいう威力に当るものと解せざるを得ない。のみならず、捲上ロープとの接触等による身体生命損傷の前記の危険は、ひいて、被告人らの身体が捲上機械にまきこまれる等不慮の災害によつて捲上機械自体に運転上の故障を生ずる虞なきを保し難いことも見やすいところであるので、被告人らの前記挙措が、運転手樋渡鹿吉の捲上機械の運転上不安の念を一層強からしめたものであることもまたおのずから明らかなところである。
以上のように、被告人らの前記挙措は、それだけで優に、刑法第二三四条にいう威力に該当するものであると認められるのであるが、被告人らは更に進んで、判示のように、もし運転中止の要求に応じなければ運転手樋渡鹿吉に対し危害をも加えかねないような気勢を示して同人を畏怖せしめた事実も、原判決挙示の証拠殊に、被告人らの検察官に対する各第一回供述調書、原審検証現場における証人香月丈夫、同森澄夫、同樋渡鹿吉らの各供述調書によつて、これを認め得られないことはなく、証拠の証明力に関する原審裁判官の判断に特に不合理と目すべき事由があるものとも認められない。
なお、所論によれば、捲上機械の運転が停止されたのは、捲上の合図がなかつたのによるものであつて、被告人らの所為によるものでなく、また業務妨害の事実も存しないというのであるが、そうでなくして判示捲上機械の運転中止が判示のように、被告人らの判示所為によるものであることは原判決挙示の証拠によつて明白である。殊に原審検証現場における証人樋渡鹿吉、同有吉信義の各供述調書等によれば、被告人らの所為によつて捲上機械の運転が妨げられている間に、坑内より幾回となく捲上の合図がなされたのにかかわらず運転が停止されていたため、坑内には捲上げらるべき石炭の実箱約六〇箱、捲上回数約三〇回分、約二〇噸の石炭が停滞させられ、現に業務の遂行が阻止妨害された事実が明らかであつて、所論は採用の限りでない。
以上のとおりであつて、この点に関する論旨はすべて理由がない。
弁護人の控訴趣意第二、三点、被告人藤元俊治の同第一〇点ないし第一三点、被告人辰島保の同第二、三点(判示第二の(二)脅迫に関する事実誤認、法令適用の誤、心神喪失、判示第三の(一)住居侵入に関する事実誤認、判示第三の(三)傷害に関する心神喪失)について。
所論の判示第二の(二)脅迫、判示第三の(一)住居侵入、判示第三の(三)傷害の各事実、殊に、判示第二の(二)脅迫の犯行当時被告人藤元俊治において心神喪失の情況になかつた事実、判示第三の(一)住居侵入の犯行に際し、被告人辰島保に犯意のあつた事実、判示第三の(三)傷害の犯行当時被告人辰島保において判示のように心神耗弱の情況にあつたものであつて、心神喪失の情況になかつた事実はいずれも原判決の挙示引用にかかる証拠によつてこれを認定するのに十分であり、証拠の取捨に関する原審裁判官の措置、証拠の証明力に関する原審裁判官の判断に、経験法則の違背等特に不合理とすべき事由なく、原判決に所論のような事実誤認法令適用の誤等の違法があるものとは認められない。論旨はすべて、理由がない。
弁護人及び各被告人の控訴趣意その餘の点(量刑不当)について。
記録並びに証拠に現われている諸般の犯情に照らし、原判決の刑の量定はいずれも相当であると認められ、特にこれを不相当とすべき事由なく、所論の諸点を参酌考量しても、なお原判決の刑の量定が相当でないものとは断じ難い。論旨はいずれも採用の限りでない。
その他原判決を破棄すべき事由がないので、刑訴第三九六条により本件控訴をいずれも棄却し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 筒井義彦 裁判官 柳原幸雄 裁判官 岡林次郎)
弁護人諫山博の控訴趣意
第一点判示第一の事実は威力業務妨害に当らない(事実誤認又は法令適用の誤)捲上機運転手樋渡鹿吉が約四十分間捲の運転を停止したことは事実であるが、これが被告人らの威力に原因していること、およびそのために樋渡の業務が妨害されたという事実は、否認する。被告人両名は事件当日朝から鉱害賠償の交渉のため三菱方城鉱業所に来ていた。ところがいつまで待つても会社側の責任者に会えないので、被告人らは、捲上機でも止めたら誰か会社の責任者が出てくるのではなかろうかと思つた(辰島保の司法警察員に対する供述調書二三八丁)。そして午後四時ごろ、二人はぶらつと捲上室にやつてきた。そこには森澄夫と渡樋鹿吉の二人がいた。そのときの状況を森澄夫はこういつている。「最初私は何処の人か分りませんでしたが、私にその人は四時半頃からこの捲を止めてくれませんかと申しますので私はその人は電工の者だなと思つたのでありますが……」(七七丁)「問、始め室に入つてきたとき藤元さんの態度に何か切迫した脅迫するような態度がありましたか、答、その様なことはありませんでした。問、捲を止めてくれというときはすみませんがという言葉を使つたのですか、答、そうです、すみませんが捲を止めてくれませんかといいました」(八三丁)そして森澄夫から工作課長の命令がないと止められないと聞かされると被告人らは工作課長の許可を得てくればよいのですねといつて出て行つたというのである(七七丁)。午後四時半ごろ二人は再び入口から入つてきて、森澄夫に対し、話がついたから直ぐ今から捲を止めてくれといつた。森証人はおかしいと思い、許可をした人を連れてきてくれというと、二人はまた出て行つて、それから十五分二十分してから、被告人藤元が課長代理の香月を引つぱるようにして入つてき、そこで捲を止めてくれと香月と押し問答をした。十分ぐらいの押し問答の後、二人は室を出ていつた。(七八丁)森証人は樋渡鹿吉と運転を交代した後、午後七時二十分ごろ、運転室のロープ取入れ窓の上に藤元が両手をあけて立つているのをみたというのである(八〇丁)。このときのもようを、樋渡証人はつぎのように述べている。樋渡証人の裁判官に対する証人尋問調書「七時二十分頃だつたと思いますが、藤元が運転台の正面ロープの通る窓の上につつたつて両手をあげてわめいてるようでしたから証人は何事かと思つてたまがつて運転している捲を停めました。その時藤元が捲を止めろという言葉が分りました。その停めた時間は六、七分位だつたと思います。然しゲージ(昇降機)には人が乗つていましたから直ぐ捲を運転してゲージをあげました。運転中は歯車の音で人の声は聞きとれません」(九一丁)。樋渡証人が捲を止めたのはどういう気持からであつたろうか。樋渡証人は、はじめ検察官の尋問に対して「証人は何事かと思つてたまがつて運転していた捲を止めました」(九一丁表)「運転を止めろというので何事かと思つたので運転を止めました」(九一丁裏)といつている。ところがこの点を更に突つこんで聞かれると、「停めねばどんな危険な目に遭うか分らず怖しくなつたからです」(九一丁裏)「恐怖心を起したのと、停めんと暴行されるかも分らんと思つていたので怖しかつた訳です」(九二丁表)と答えている。しかしこれらの供述は明らかに矛盾している。びつくりして或は何事かと思つて捲を止める心理と恐怖心から捲を止める心理とは、別物であり、両立しない。樋渡証人が捲を止めるときの心理は驚いてからか、或は恐しさのあまりか、何れかの一つであるはずである。そうすると、被告人らの最初からのおとなしい態度、および現場の状況(後述)、捲を止めてしまつてから捲を止めろという言葉をきいたこと、運転中は人の声は聞えないという供述、さらにたまがつて止めた。何事かと思つて止めたという答えが自然になされているのに反して「止めねばどんな危険な目に会うか分らず怖しくなつたからです」「恐怖心を起したのと、停めんと暴行されるかも分らんと思つていたので怖しかつた訳です」という供述が、わざとらしい検察官の誘導的な発問に引きつづいてなされていることなどを考え合わせると、樋渡証人は、突然奇異な場所に現われた被告人をみて、驚いて捲を止めたとみるのが真相に近そうである。第一審裁判所の現場検証の結果では、被告人藤元が立つた窓わくと運転室は相当の距離があり、窓わくから運転室に真直ぐ行くことは構造上不可能である。運転室は梯子で登らねばならないような安全地帯にあり被告人が窓わくの上で手をあげたにしても、運転手に危害を加えることはできないし、危害の及びそうな危険性もない。窓わくは捲上ロープの通つている場所であり、窓わくに上る人の方が、捲上ロープにふれて負傷する危険性があるくらいである。(同趣旨の森証人の証言あり、八一、八二丁)そのために樋渡がびつくりしたというのならうなずけるけれども、樋渡自身が危険を感じたというのは、検事の訊問に迎合した答弁としか考えられない。この場合に関する森証人の証言を抜き出すと、つぎのとおりである。問、藤元が窓に立つていたという、そうした場合危険の点はどうか、答、運転手自体にはありませんが、下綱になつている方に寄りますと、ロープに擦り込まれたりして生命問題になります。そのほか八四丁参照。そうすると、被告人の行動が捲を止めたことと何らかの因果関係はあるにしても、それは暴行又は脅迫を手段として樋渡を畏怖せしめたからではない。したがつて威力を用いて捲を止めさせたということにはならない。第二に、樋渡が捲を止めた事実があつたにしても、これは同人の業務が妨害されたことにはならない。業務妨害というためには、業務執行が必要且つ可能であり、業務執行をしようとするのを妨害された場合でなければならない。本件においては、もともと業務を執行することが不必要であり、樋渡自身にも業務執行の気持がないときに、樋渡が業務執行をしなかつたまでである。捲運転手は、自分の判断によつて捲を運転したり止めたりするのではない。かねひき(合図方)が合図し、運転手はその合図どおりに運転することになつている(有吉信義の証人訊問調書一〇〇丁)。樋渡証人は前述のように捲の運転を止めたが、その後はかねひきから合図がきていない。合図がなかつたことは、樋渡証人自身がくり返し認めている(九四丁)。これに反するような証言も出ているが、捲を止めてから後、合図がなかつたことだけは信じられる。そうすると樋渡証人は、捲を運転する必要も権限もなかつたわけである。このことは、ずつと現場にいた森澄夫証人も認め、結局合図がなかつたので捲を運転をしなかつたのだと証言している(八五丁)。このような状態のながで樋渡が捲の運転を止めたにしても、これは業務を妨害されたことにはならない。樋渡は約四十分間捲を止めたことになるが、当時捲を運転する必要があつたのなら、四十分もの間捲を運転しないとは考えられない。捲を止めてからは、森証人も樋渡の所に来るし、中山氏や外勤係も四、五名来るし、用のない見物人も沢山集つてきている(九二丁)。そうすると、少くとも皆が集つてきてからは、樋渡が威力に脅やかされて危険を感じている状態は終つているはずである。この点からみても、樋渡が、威力により業務を妨害されたということは、事実に合わない。以上、何れの点からみても、威力業務妨害罪は成立しない。これは事実誤認又は法令適用の誤りであり、判決に影響を与えているので、原判決は破棄さるべきである。
第二点被告人藤元俊治が石橋光に対して脅迫したという判示第二(一)の認定は事実誤認か、もしくは法令適用の誤りである。石橋光の検察官に対する供述調書をみると、昭和二十七年十二月二十八日午後七時頃、石橋氏が被害者達と話しているとき、入口の方で大きな声がしたので見てみると、藤元被告人が刃渡り一尺八寸位の日本刀を抜身のまま右手にもつて石橋氏の二間位前までやつてきた。そのときの様子が切りつけかねない気勢で大声で「石橋切るぞ」とかいつていたというのである。石橋の横には辰島保がいたが、藤元も止めた。石橋のところにいた他の被害者も立上つて藤元を入口の方に押し戻し辰島が藤元の日本刀を取りあげた。事件は以上のとおりである(一五八丁)。辰島謙治の検察官に対する同旨の供述、一五四丁。こういうことが事実であつたにしても、これを脅迫に当る行為と認定するのは無理である。鉱害賠償の交渉においては、鉱害加害者は大財閥であり、鉱害被害者は弱い一市民である。その関係は賃金交渉をめぐる労働者と資本家の間に似ている。したがつてともすれば市民法のわくをはずれがちな交渉方法も出てきがちである。会社の当事者も、荒つぼい交渉になれた人たちが多い。一つの行為を脅迫と認定するかどうかということは、事件の起つた客観的な環境のなかで判断しなければならない。殺人とか窃盗などというような、犯罪の構成要件の明確な事件と違つて脅迫や恐喝のような事件においては、雰囲気が犯罪の成否に関係してくるのである。このような観点から本件をみる場合、被告人藤元が日本刀をもつてきて、大声で呼んだにしても本気で害悪を加えようとしていたと認定する方が無理である。また石橋氏が本当に生命身体の危険を感じたものとも思われない。いずれにしても判示第二の(二)は、罪にならない行為を脅迫罪と認定したものというのほかなく、この事実誤認又は法令適用の誤りは、原判決に影響を及ぼしている。
第三点被告人辰島保の住居侵入は、犯意がないから無罪である。他人の家に入つたら、どんな場合でも住居侵入罪になるものではない。正当の理由なく他人の家に入る行為であり、しかも正当な理由のないことを自ら意識している場合でないと、故意犯としての住居侵入罪は成立しない。本件を記録について検討すると、被告人は家に入る前に永井くみ子と二、三言葉を交わしている(同人の検察官に対する供述調書)。被告人は永井氏に面会できるように取次いでもらうつもりで軽い気持で塀をこえ、庭の腰掛に腰をおろして永井くみ子の出てくるのを待つていた。被告人は何回も行つたことのある家ではあるし、永井くみ子とも以来から顔見知の仲であつたから、友人の帰りを待たしてもらうぐらいの軽い気持で、そして恐らくは幾らかの茶目気も手伝つて、永井えの取次ぎを待つていたのである。(被告人の検察官に対する供述調書)。ところが驚いたことには、永井くみが永井副長に連絡をとつてくれているものとばかり思つていたのに、永井くみ子は電話で外勤部員や警察官を呼んできたというのである。住居侵入事件というのは、これだけのことである。永井くみ子が果してどういう気持で警察などを呼び入れたのか、その心理は不可解である。しかし被告人が少しの犯罪意識もなく、例えば知人の留守宅を訪ねたときのような単純な気持で家に入つていたことは疑いない。そうすると客観点に他人の住居に侵入したということはあつても、故なく侵入したことにはならないし、住居侵入の犯意が全く認められないのである。この事実については、被告人は無罪たるべきである。
第四点被告人両名は、いずれも懲役の実刑を課せられたが、その判決は、つぎの理由によつて過重である。事件の動機になつたのは、三菱方城炭鉱の鉱害賠償政策の欠陥である。三菱方城炭鉱は、数年前からの鉱害について、多くの未賠償を残していた。おとなしい交渉をいくらつゞけても、会社は誠意のある賠償をしようとしなかつた。そのために多くの被害者は泣き寝入りをしてしまうか、或は会社が解決に努力せざるを得ないような荒つぼい交渉の仕方をするよりほかに、方法がなかつた。大部分の被害者は、泣く子と地頭には勝てぬというあきらめから、みすみす家が壊れたり田地が傷んだりしても、泣き寝入りをしていた。そういうなかで田川郡金田町上金田二区では、数名の部落の有力者が中心になつて鉱害被害者組合を作り、部落民の大多数を一つの組合に結集した。その趣旨は、封建的な泣き寝入りをやめ、組織的な団結力によつて会社と正当な賠償交渉をしようということであつた。こういう組合の力を通じてこそ、泣き寝入りの眼をさまさせることができるし、泣き寝入りにつけこむ鉱害ボスの生れる温床をなくすることもできるのである。被告人両名は、この組合でそれぞれ役員に推され、部落の古老たちからも信頼されている青年たちであつた。そしてこの組合のなかで、自己の鉱害および部落内で鉱害で苦しんでいながら、弱いばかりに主張も要求できなかつた人たちを助けて、正当な要求のために立ち上らせるように努力していた。即ち鉱害賠償交渉の動機はあくまでも純粋だつたのである。原判決は、被告人らの犯罪行為として多くの事実を認定している。事件の数はびつくりするくらい多い。しかし記録について一つ一つを検討すると、刑事事件としては取るに足りないようなものばかりである。判示第一の捲を止めたという事件は、表面をみたら向う見ずの犯罪のようであるが、会社の業務にたいしてはほとんど影響を与へていないし、被告人自身の気持としても、会社の仕事を邪魔してやろうというほどのものではなかつた。そのほかの、住居侵入や暴行、脅迫などは、交渉が行きづまつて興奮のあまり、少し血気にはやりすぎたきらいはあろうが、鉱害ボス物語に聞くような兇悪さは感じない。この事件をみる場合事件の起つた背景を無視しては、真相をつかむことはできない。被告人たちは会社の鉱害賠償方法に、正義漢としての憤りを抱いていた。この憤りはまた、全鉱害被害者の気持でもあつた。しかし鉱害被害者は、賃上要求を斗う労働者とちがつて、ストライキをしてでも会社に要求を容れさせるという武器をもたない、それでも被害者の正当な要求だけは、どうしても貫徹させねばならないという義務感から、行きすぎる交渉も起りがちになるのである。被告人達が交渉していたのは、新しい鉱害を会社に認めさせるということよりも既に会社が鉱害を承認し、支払いを契約していながら会社予算を口実に現実の復旧をさぼつている分に対して、その履行を要求していたのである。資本主義初期においては、鉱害の賠償は鉱業権者の義務ではなくして、鉱業債権者の与える恩恵にすぎなかつた。しかし無過失賠償の法理が普及し、鉱業法が制定されることによつて今まで道徳的な恩恵にすぎなかつた鉱害賠償が、法律上の義務とされるようになつた。鉱害賠償が法律上の義務となつた以上、賠償金は石炭のコストの一部として、労賃などとともに必要経費の中に織り込まれなければならない。鉱害賠償をしないで石炭を採堀するのは、原料代を払わすに生産をしたり肥料代を踏み倒して農業をするのと同じことであり、市民社会においては糾弾さるべきことである。ところが三菱方域鉱業所方は、多額の未払賠償金をもちこしながら、石炭採堀をつづけてきた。会社は予算がないといつている。しかし労賃を遅配していないのに鉱害賠償金だけは支払えないということは鉱害被害者を納得させない。こういう弁解は労賃不払については労働組合がやかましいが、鉱害被害者の方は組織力も争議権ももたないために、鉱害賠償を軽視していたことの表われととられても仕方がない。そうだとしたら、鉱害被害者が憤るのは当然であり、偶発する諸事件については、会社がその原因を誘発しているといわれても仕方があるまい。被告人両名は、町で信望のあつい、まじめな青年である。こんな青年がどうして刑務所に行かねばならないだろうかと、近所の人は不可解に思つている。最近鉱害ボスの問題が新聞紙面を賑わしたが、被告人たちのような者まで、その余波を受けて不当な予断を与えるのではないかということが心配である。この事件の性質、動機、背景などを胴察していただき、被告人らが有罪を免れないとしても、執行猶予の裁判をしていたゞくように希望する。
被告人藤元俊治の控訴趣意
一、私は是迄一度も処罰を受けたことはありません家族は母を子宮の病の為昨年七月十五日に失くしました為現在は妻キヨ子、長女真智子、姉ヨシヱ、其の子秀俊、弟節に弟夫婦にその子一人に私を入れて九人家族で全員私の援助によつて生活して居ります、財産は家屋一棟と田三畝二十六歩と畑二反があります、学校は金田小学校を出て居ります、昭和十七年四月から後藤寺保線区に勤め途中応召され復員後引続き勤め昭和二十六年三月退職し其の後は農業と土木下受業をやつて一家の生計を支へて居ります。二、昭和二十八年六月二十七日三菱方城炭坑第二竪坑の捲を止めたと言うことに付きまして申述べます、私の居住する田川郡金田町字上金田は同郡方城村三菱方城炭坑の鉱区内で昭和六年頃から坑内採掘の為田畑や宅地家屋陥落し始め支那事変や大東亜戦争のため石炭の生産増強すべく濫掘しました其の為戦後に於ても急速に鉱害がひどくなりましたので上金田町内では隣組長等が鉱害対策委員となつて会社側に交渉を続けて居りました。私も昭和二十五年特別鉱害復旧法案が成立して以来前記の人たちと一緒に交渉を致しました。三、私の所有する家屋は昭和二十六年六月頃から交渉し同年十月予算で四十二万五千円として会社側に認められ同年十二月から復旧着工し昭和二十七年二月末完成しました。四、其の後昭和二十七年六月頃から私の妻の母である田川郡糸田町大熊秋貞フジヱ、長副初司、宮上市蔵、右三家屋の復旧の交渉を始め同年十月初頃漸く会社に取り上げられて、秋貞フジヱ六十五万円、長副初司四十万円、宮上市蔵五十万円、の予算が契約されました、三戸共昭和二十八年四月着工し同年五月一杯で長副、宮上の二戸は完成しましたそれ迄に四割程度の支払しか受けていませんでした、其の為大工や左官や、建具屋への支払に困り会社に対して殘金の支払方を三菱方城坑の地所課の今井忠義氏と交渉の結果同年六月十二日に殘額を支払う約束が出来ました処六月二十五日に延期となりました。五、同月二十二日今井氏と会つたとき念の為私は今度は大工、左官其の他の支払が非常に大きいから会社としても纒つた金を払つて下さいと頼んでいました処、同月二十五日会社へ行つて見ると今井は不在で支払は同月二十七日に延びたとのことでした。六、同月二十七日私は午前九時頃から三菱方城坑の地所課に行き係員と会ほうとしたが課長以下責任者は全部居らず今井や其の他の責任者をたづねて廻りましたが行先を知らぬと言つて会社の人は誰一人として教えて呉れませんでした、しかし職員が自分の机をはなれて外出する際行先を誰かに伝へて行くのがたてまへだと思つていましたので、当時の会社のすることが不審でなりませんでした、私は一応約束に近い線で支払する様にしているかどうかを確めるため午前十時頃経理課に行き知合の大場係員に支払金額をきくと二万円位だと言うことなので私はその金額ではどうにもならんので更に方々を探しましたが地所課の人に会へない為午後一時頃経理に行き支払を受け様とすると、支払金額は一万円だと言いますから私は事の意外に驚いて受領を取り止め又係の者を探しました、其の時辰島保氏が来ていたことは知つています。七、午後四時頃工作課で庶務課次席の小牧さんに会つたので支払金額の事を話し、地所課の責任者は皆居ないから貴男は庶務課次席だから貴男にお話する。どうか誠意ある話をして呉れと言うと、小牧さんは自分では分らぬ、所長、副長を探して来ると言うから私はそれから二時間ばかり待ちましたが何んの音沙汰も御座居ませんでした、後で聞きましたが、小牧さんは所長、副長を探さず私は待つあいだに考へたのですが庶動課の次席が所長・副長の所在を知らぬはずはなし最初に私と会つたときに所長、副長に直方へ行つていたそうです、はどこどこへ行つて居ると教へるはずなのに教へずに探しに行くとはどうもおかしいと思ひました、これはきつと会社の策略だと思い我々も何とも良い方法を取るべきだと思い私は第二竪坑の捲場に行き運転手の人に、所長、副長にどうしても会いたい我々の死活問題だから場合に依つては捲を止めて貰うかもしれぬと申しますと運転手は自分では止める権限がないから工作課長にきいて呉れと言うから私は工作課に行つて見ましたら課長は居らず課長次席の香月さんが来たので同人に事情を話し、我々としては死活問題で来ているのに所長、副長が会つて呉れないのは不都合だと思う、捲でも止めて貰つたら所長、副長が会つて呉れると思うから捲場に来て止めさせて呉れと頼んで捲場に一諸に行き更に事情を話し貴男方の力で所長等に連絡を取つて呉れと頼みましたが職が違うから出来ないと言うので私は相手が全く誠意がないので私は傍にいた従業員の人達に、会社の職員が全く誠意を見せないのは不都合なことだから捲を止めさせて貰うと申しますと香月次席は運転手に捲を止めてはいかんぞと言うて出て行きました其のとき何時来たか知りませんが私と同ところに住んでいる辰島生と辰島保君も来ていて二人とも捲を止める様になつては会社も困るのではないですか何故会社は誠意を持つてやつて呉れんですかと又所長、副長に連絡して呉れんですかと言つて生さんは香月と一緒に行きました私達は外に頼む相手がいなくなつたので名前は後で分りましたが運転手の森さんを探して何んとか相談をしようと思つて保さんと話していたが私が今運転している男に声がけたが運転の音が大きいので相手に通じない様でしたから其のまま外に立つて居りましたら捲小屋の中でリンの音がした様な気がしましたらすぐに運転が止まりましたそこえ森さんが来て、ちようど雨が降つていたので中に入りませんかと言いましたので私達は中へ入りますと森さんが椅子を進めたのでそれに腰をおろしたところ生さんも来ましたので私と森さんと生さんと保さんの四人で約三十分位鉱害の話やら会社の組合の話をしました。申し遅れましたが運転が止つた際捲の構造は初めてでめずらしかつたので一段高いコンクリートの上に上つて中をのぞきましたそして下へ降りて来た処に森さんが来たのであります。そして前記の如く話をしていた処に外勤の桶口外五、六名位の人達が入つて来て怒声で私達はどうしてここに入つたかとか、ここは外来者の来る所でないと強引に私達を連れ出そうとしたので私達は以外な言葉使いに憤がいして口論をなしたのですがこれは相手がひどい言葉を使い過ぎたからです。そうしている内に桶口さんが外勤詰所へ来いと言うので私達は外勤詰所へ行き桶口さんに今迄の行き察を話して午後九時頃桶口さんも了解されたのでそれぞれ自分の家へ帰りました。八、私達が帰る迄に一度も運転手をおどす様なことはして居りませんところが運転手さん達が警察や検察庁で調べを受ける際に当然こう言う様な態度いわゆる強迫的な態度を取つたのであろうと無理にそう言う風な調書を取つたのだと後日森運転手が申して居りました。九、森さんの話では会社の弁護士さんに会つたときに私は警察や検察庁で事実と違つた調書を取られましたが証人に立つときにどう言へば良いですかとたづねたところ事実のままを裁判所に言いなさいと言われましたので最初の裁判のときはありのままを話しましたと言つて居りました相手の桶渡運転手さんはきつと無理な調書通りに言うたのでしようと申して居りましたこう言うた面で私は第一審の裁判に納得が行かないのであります是非事実審理をお願い致します。十、昭和二十七年十二月二十八日頃私が日本刀を持つて田川郡方城村三菱方城炭坑地所課の事務室に行つて脅したと言うことでありますのでそのことについて申上げます。十一、私は同村の伯父松本秀夫の家屋の鉱害を復旧修理をしたので其の支払を請求した処十二月ヰ八日に支払つて呉れることになりましたので其の日は朝から行つていました昼近くになつて同じ村の人達と昼食のため会社の近くの藤美食堂に行きました皆の人達が今日は支払があるのだから一杯飲もうと言うので私も一緒に飲みました私は今日は支払がある為安心していたせいか日頃酒は飲まないのですが其の日は三、四合位飲んだ為ひどく酔いました食後他の人達と会社に行き応接室で横になつた迄は記憶がありますが其の後どの様なことをしたか知りません。十二、後で人に聞くと自宅から日本刀を取つて来て地所課の部屋に入り石橋地所課長に向つて刀を抜いたと言うことですが私には全く分りませんでした、警察では人から聞いたことを申し上げたのであります。十三、私と石橋課長とは夕食を良く共にする程の間柄で夜遅くなつたときは泊めて貰つたりして居ましたので石橋課長に対し前記の様なことをしたのが全く私には分りません。十四、其の頃私は日本刀一振りを持つていましたそれは私が昭和二十五年頃義兄に当る田川郡方城村大字伊方字矢久保の辰島藤四郎方の畠仕事にいつたとき畠の土中から真赤に錆びた日本刀、刀渡一尺八寸位の刀を荒研して木で柄と鞘を作つて自宅の仏壇の横に置いていたのであります其の事や石橋課長に対してした行為は意識無くしてしたことではありますが所持していたが為故私としては申し訳け無いと思つて居ります。
被告人辰島保の控訴趣意
一、威力業務妨害の件
右の件に就きましては事件の当日は会社の支払日に当つておりまして受給金が係員との約束額の二割相当のもので不満に堪へず、何故に違約せしものかを、係員に究明すべく探したるも全々行方不明にて且つ幹部の行方も判明せざる為私と同様な立場の者二十数名と共に責任者である永井副長の行方を庶務課長代理に追求してもらい、其の間会社の倶楽部にて待期して居つたのでありまして私は一度マキの現場には参りましたが威力を加えて止めさせた覚えは全く有りません(係運転手森澄夫氏の証言にて明白)以上の様な次第にて私は右の事件に関しては全く白紙にて関係ありません。願はくば一審の事実審理の不充分なる点を今一度御調査下さいます様願い上げます。
一、暴力行為の件(鬼塚氏外一名に対するもの)右の件につきましては事件の当日は私の請負つて仕事をしております家屋の上棟式にて多量に飲酒し酩酊致しておりました。所謂心神喪失の状態にありました(証人福高芳雄氏の証言)ので当日の状況は全く覚えず翌日に至り人より聞き此の事実を承知した次第です。早速被害者の鬼塚、某、両氏の許に赴き"
(岸川氏に対する分)此の件につきましては当日早朝より会社に被害交渉に行つたのでありますが午後近くになりましても会社側の不誠意の為に面接出来ず遂にたまりかね大声にて叫びましたる処岸川課長代理が出て来られ暴若無人な態度にて私に接して来ましたので感情の激溌にて何をしたか覚えませんが腹部か大腿部かをけつたとの事であります。此につきましては私の人格、修養の足らざる故にて今考へましても汗顔の至りにて岸川氏に対しましても全く申訳無く存じます。
一、家宅侵入の件此の事件は私より奥田検事殿に申上げました様に平素より永井副長宅には数十回赴きまして奥様とも顔見知りの間柄でありまして御茶を飲みつつ話をする仲で当日も門外より数度声を懸けましたが奥様は炊事か何かで御忙しい様でありましたので右の述べましたる如く心安い間柄でもあり塀を越へ玄関口にて亦奥様を呼び待つて居りましたのであります。以上私の行動が家宅侵入罪に問われる等とは浅学菲才の身とて思いもよらず且つ警察官、外勤係の方々も来られたのですが家宅侵入罪云々はとがめ立てもありませんでしたので其の儘引揚げて帰つた次第であります。以上三事件につきましては私の至ら無き為の出来事と重々反省致しまして今後は斯る行為は絶対致しませんので今度に限り事実を御審理下さいましたる上何分寛大なる御判決を賜り度く懇願致します。